2023-4-11(火)

朝散歩する公園で『集合、解散!』を読み、家で春の陽気と日差しの中でエリック・ロメールを見る。きのう拵えたスパイスカレーを食べて、昼寝をした。昼寝から目覚めて、読書をした。夕方『ティンダー・レモンケーキ・エフェクト』の発送があり、ついでに散歩に出ることにした。高円寺駅前まできて文禄堂に入る。新刊コーナーには小さいな出版社のエッセイが並べられていた。山口一郎の新刊を立ち読み。日記と詩の間のような小さな散文集でとてもよかった。真似したいと思った。ほかにも『私の生活改善運動』や『NEUTRAL COLORS』を手に取った。文禄堂にはいつきてもほしいと思える本があって、それがちゃんと出会える場所に配置されているのがいい。街の小さな本屋だから新刊中心であるけれど、その新刊のセレクトも最高だ。文禄堂はいつきても最高の本屋だ。文禄堂を出て、駅前を歩いていると、こうして夕方から夜にかけて、高円寺駅前を歩くのが好きだったことを思い出した。日々の暮らしの買い出しをしている人たちを眺めるのが好きだった。路地に入って、メンチカツとコロッケを買った。駅前広場の目立たない場所で食べる。ようやく暖かくなってよかった。春は春というだけで幸せだと感じてしまう。

久しぶりに古着屋に入って、買いもしないのに、手に取ったブラウスをあてたりした。買いもしないけど、楽しくなったりした。この古着屋には、昨年二人の友人の服を買うためにきた店だった。日曜日に会ったとき、片方はそのとき買った服を着ていて、もう片方は新しく買った服を着ていた。みんなに服を選んでもらって、今までなら自分では選ばなかったものも着てみると、案外似合うんだと気づいたと言っていた。すごくうれしかった。べつに服好きにならなくてもお洒落にならなくてもいい。自分が着たいと思えるものを選んで、自分が好きだと思っているものを身につけているのは、とても気持ちのよいことだし楽しいことだから、それが彼らの生活のなかにあることがうれしかった。

夕日に向かって歩いていた。友だちと友だちでいるのは、尊敬できるところがあるからで、そういう人たちと一緒にいられて幸せだと思った。いつ死ぬかわからないとしてやることがあるとすれば、友だちに一緒にいられて幸せだと表明することだ。わたしが日記を書いている理由は忘れたくないと思ったことを残しておくためだ。ふいに思い出しては自分を救ってくれたりする。それを人が見れるところで書いているのは、そうすることで記憶が定着されるからのような気がする。tinderで日記を送ることは読まれることよりも日記を送られることを意識していて、ゆるやかなコミュニケーションの起点としているから、よりそう感じるのかもしれない。でも最近人には見せない日記も書いていて、それは忘れるために書いている部分もある。悲しみや怒り、人には言えないことを、言葉に託して忘れていくために書いている。

 

備考

Tinderは文字制限があるので、文字制限を超してしまった日ははてなブログの日とすることにした。