2022-12-31(土)

寝る前に「ニトリベッド買う」というメモをスクリーンショットして、ロック画面に設定した。その目標通り無事達成した。これでもう年内やり残したことはない。ピザも食べた。孤独のグルメでピザを食べていたから。大きなマルゲリータを頬張る女の子は、母親からのやさしい視線をいっぱいに浴びていると、うれしそうににこっと笑った。窯焼きの大きなピザを食べて育つ子もいるのだ。ふと目に入ってしまった、友だちから友だちへ送られた「変わってなくてよかった」という言葉に傷つく。きっと変わっていてもその変化を疎んだりはしないとわかっているけど。それは自分が過去、変わったときにその変化を受けて入れてもらえなかった記憶があるからだと思う。若いゆえの未熟さは残酷。「変わってなかったよ」と聞いたときにどんな言葉をかければいいだろう。

今年は自分を自分自身で苦しめることから逃れることができた一年だった。内なる声と他人の声を無視すると、自分で自分にいじわるする必要がなくなる。自分をいじめぬいて成長するというやり方はあるけれど、だれもがそのような選択をする必要はないし、それは自分にとっては意味ない価値観だとわかった。自分に厳しくしていても、自分のやりたいことを自分は教えてくれないし、ちょうどよく放牧していると、あっちのほうに走ってみたいとたまにリクエストがくる。占い師に忍耐がないと言われてはじまった一年だったけど、じゃあ忍耐ない自分とどう付き合っていくかしかない。忍耐ない自分を忍耐ある自分に変えることはできない。思ってもない理想を捨てて、諦めにも似たかたちで自分に戻っていく。そうであることを許していく、そういう一年だったのだと思う。無理やり設定していた目標を外して、とりあえず毎日生きていればオールOKというなかで、なんだか自分でもよくわからないうちに、日記を書いて、人に読まれて、それ本にして、金銭と交換していた。それはやりたいと望んでいたというよりもやってしまったことだ。そして、まったく思ってもみなかった方向から、行ってみたい方向が見えてきた。こうして生きていくのがどうやらまちがっていなさそうだと思えたことがなによりも重要な気づきになった。ほかの人はしらんが、たぶんわたしはこうなのだろう。これから先、なんとかするし、なんとかなるだろう。というかそう思って生きていたい。人生だもの。これから最終日のスーパーに値引きの商品を探しにいく。