2023-1-14(土)

茶店で頼むチャイはゆっくりと味わうことができるのに、家で淹れるチャイはどんなにいい茶葉を使っていても、がぶ飲みしてしまうようなことが日常でも起きているような日々。あのカフェで飲むチャイよりも自分の手のなかにあるチャイのほうがずっと美味しいにも関わらず、いまはあの手に届かないチャイを欲しがっている。それがどういうことなのか、自分でもよくわからない。ほかにもあるさまざまな"目前のチャイ"を味わずに生きているような心地がしている。それは息をしているだけで、損をしているような感覚で、あり得たはずのことがいまここにないことの悲しさを、受け入れることもできずに、ただ呆然としている。チャイを味わうために、チャイをあえて、自分の手から手放してみても、そこにただ冷めたチャイがあるだけだ。アイスチャイも美味しいけれど。