無題

「ほんとに悪いことをしたと思ってるよ」その彼の言葉がうそでないと信じられる。彼はクズのくせにうそがつけるほど器用ではない。ただ「デート」とか女の子が喜びそうな言葉を使ってみたくなるクズな男なだけだ。なぜ許せてしまえるのかわからないけど、あまりひどいことをされたと思っていないのかもしれない。トラウマ級の出来事はあったけれど、ひとつのドラマをして受け入れている。「なかったことにはできないけど、まあもうわたしは友だちとは寝ない」「いやあ」居心地悪そうに彼がまたうつむく。今後の参考に彼に本命と遊びの違いを聞かせてよというと、そうだなあと言いながら、彼なりの線引きを話す。それにわたしは納得したし、そうだともわかっていた。わたしが持っていないものを彼女が持っていることを当時は認められなかった。もう少し飲もうよと言われて、店を出る。店を探しているとき、彼がこちらを見ているので、わたしも彼を見ると「どうしたの?」と彼がいう。「え、だって見てたじゃん」「そっか」そしてふたたび、彼が検討つけた店を目指して歩く。

また飲みはじめた。二軒め、頭がぼうとする。彼の横を通ったとき、彼の体臭と香水が混じった香りがする。彼の胸元に視線がいく。彼に抱かれていた自分を思い出した。階段を降りて、トイレの順番待ちをする。さっき合ってしまった、あのときの視線と視線を誤魔化せなかった。ぎこちない苦笑い。わたしたちはともに欲情しあう。だけど恋愛感情があるわけではない。関係性のやり直しをしたい。わたしたちはセックスに頼らない関係性を築くことができる。だから、彼の肩に触れないように、わたしは席に戻った。なにごとないように会話を続ける。思いついたことを投げかける。彼の返答にはっとさせられる。その佇まいや強さに強く惹かれていたし、本質的に好きだった。けれど、薄っぺらで下品な性欲でわたしたちはつながっていた。彼はわたしの好意を搾取して、わたしは彼への恋心を自ら踏みにじった。もうあんなことはお互いのためにやめるべきだ。わたしたちはちゃんとお互いに敬意を払いあっているし、これからもきっとお互いの存在が刺激になる。目先の性欲ほどくだらないものはない。「今日会えてうれしかった」という言葉の意味は、それだけだったはずなのに、声に出した瞬間言葉が重くなるのを感じる。慎重にそれを無視して、わたしたちは会話を進める。閉店時間となってお開きとなった。最寄り駅まで歩く。もう彼はわたしを誘ったりはしない。理性という力学。気づかぬふりして、わたしは「そこまで」といい、彼は「こっちだったよね」という。彼に促された道をわたしはそのまま進んだ。